別所線紹介
会社概要
所在地 | 〒386-8577 長野県上田市天神1丁目2番1号 0268-22-3330 |
会社設立 | 大正5年9月17日 |
資本金 | 160百万円(平成12年3月末現在) |
営業区間 | 別所線 上田〜別所温泉 11.6km |
沿革
上田電鉄は長野県上田市の長野新幹線・しなの鉄道上田駅より信州の鎌倉と言われる塩田平、そして別所温泉へ至る11.6kmの別所線を持つローカル私鉄です。
上田電鉄のルーツは大正7年創業の丸子鉄道と大正10年開業の上田温泉電軌で、その後戦時統制によりこの2社が合併して上田丸子電鉄となり、最盛期には北東線(菅平鹿沢線/真田傍陽線)・青木線・丸子線・西丸子線(依田窪線)・別所線の5路線が上田小県地方の足として走っていましたが、戦後のモータリゼーションの影響で次々と路線を廃止し、会社名も昭和44年の丸子線廃止後に上田交通に変わりました。また別所線も当初は廃止の方向であったものの、別所温泉の旅館組合などが猛反対し、また時を同じくして欠損補助の適用などを受けたこともあり、路線は存続の方向に向かうこととなりました。その後回数券共同購入などの乗って残すという地道な運動が実り、また会社側も運転本数を増やすなどの経営努力を行った結果、現在では利用客もわずかながら増加に転じているという結果に至っています。
その別所線で活躍していた丸窓電車ことモハ5250をはじめとした長い間別所線で活躍してきた旧型車両も補修に多額の費用がかさむようになり、昭和61年9月に東急5000、5200系電車に全数置き換わりました。現在では平成5年5月より同じく東急目蒲線、池上線で使用していた7200系電車に交代し、現在に至っています。
長い間、別所線上田駅は改札など間借りをしていましたが平成10年3月に高架駅となったのを機に改札も独自のものになりました。
略年表
大正5.9.17 | 丸子鉄道株式会社設立 |
大正7.11.21 | 丸子線 丸子〜大屋間開業 |
大正8.11.10 | 上田〜青木間、上田原〜別所温泉間特許 |
大正9.1.15 | 上田温泉電気軌道株式会社設立 |
大正9.11.16 | 上田温泉電軌株式会社に社名変更 |
大正10.6.17 | 青木線、別所線開業 |
大正13.8.15 | 千曲川鉄橋が完成し、上田まで開通 |
大正14.8.1 | 丸子線 大屋〜上田東間開業 |
大正15.8.12 | 依田窪線(西丸子線)開業 |
昭和2.11.20 | 北東線(真田傍陽線)上田〜伊勢山間開業 |
昭和3.5.1 | 北東線全線開業 |
昭和13.2.28 | 青木線上田原〜青木間廃止 |
昭和14.8.30 | 社名を上田電鉄に変更 |
昭和18.10.21 | 丸子鉄道と合併、上田丸子電鉄となる |
昭和33 | 東京急行電鉄の系列傘下となる |
昭和38.11.1 | 西丸子線下之郷〜西丸子間廃止 |
昭和44.4.19 | 丸子線上田東〜丸子町間廃止 |
昭和44.5.31 | 上田交通に社名変更 |
昭和47.2.19 | 真田傍陽線上田〜真田、傍陽間廃止 |
昭和48年 | 別所線の廃止の方針が提案される。沿線住民の反対運動強まる。存続運動拡大。 |
昭和49年 | 別所線の存続に3年間の補助金決定 |
昭和52年 | 存続運動、営業努力により赤字大幅に減少、存続が決まる。 |
昭和58.11 | 下之郷駅の交換復活 |
昭和59年 | モハ5250型丸窓電車が鉄道友の会エバーグリーン賞受賞 |
昭和59.11.1 | 別所線貨物営業廃止 |
昭和61.09.30 | 多くの人に惜しまれつつ丸窓電車をはじめとした旧型車両が引退 |
昭和61.10.1 | 電圧を1500Vに昇圧し、車両を東急5000,5200系に全車置き換え 電車区を上田原より下之郷に変更 中塩田駅の交換廃止 |
平成2.3 | ダイヤ改正で快速列車設定(2往復) |
平成5.5.28 | 東急7200系に全車置き換え、このとき地方私鉄としては快挙の100%冷房化達成 |
平成6.3 | 快速列車廃止 |
平成10.3.29 | 千曲川鉄橋からの連続立体高架、上田駅を高架駅に改良 |
平成10.10.19 | 終日ワンマン運転開始 |
平成13.06.17 | 別所線開通80周年 |
平成17.10.3 | 鉄道部門の分社化により社名を上田電鉄と改称 |